朝ドラ「ばけばけ」でヒロインのご主人役、けなげに妻の実家を支えているのが寛一郎さんです。
背も高くてかっこよく、おトキちゃんとずっと仲良くしてほしいな・・・と思いながら見ていますが、寛一郎さんはいわゆる「演劇界のサラブレッド」だとか。
どんな家族構成か気になって調べてみました。
寛一郎の父は誰?
「寛一郎」というお名前を最初に見たときには
かん いちろう なのかと思いましたが、「寛一郎」というお名前になります。
本名が寛一郎さんで、名字は「佐藤」さんです。
寛一郎という名前には、「大きく伸び伸びと育ってほしい」「寛大な心を持ってほしい」というご両親の深い願いが込められているのだそうです。
さて、佐藤さんというとどなたを思い浮かべますか?
寛一郎さんのお父さんは佐藤浩市さんです。
様々な映画やドラマで、重厚な役からちょっとコミカルテイストの役まで
幅広く演じる、渋さみなぎる佐藤浩市さん。
寛一郎さんはその佐藤浩市さんの息子さんなんです。
朝ドラばけばけに登場したシーンでは
「お父さんに似ている!」という声がたくさん上がりました。
朝ドラ「ばけばけ」
人の家の柱で鉄砲打つな笑
落ち武者頭が時とともに変化してくとか芸が細かい😂
しかしヘブンと一緒になるってことは、銀二郎とは梨園よね…
とってもいい人なのに切なっ💧銀二郎役の寛一郎さんの父は佐藤浩市、祖父は三國連太郎だそう
驚いた横顔がお父様とそっくり過ぎ☺ pic.twitter.com/uKVzxk08KB— めっこ (@mekko1010) October 10, 2025
ばけばけ
2度目のお見合い相手
寛一郎💕登場〜佐藤浩市そっくりじゃ
ちょっと配置間違った目黒蓮とも言える
(^^;#髙石あかり #寛一郎#ばけばけ pic.twitter.com/ZWKXTaiZRo— ふじわら龍 (@asadoramamania) October 8, 2025
現在の「日本映画界の顔」と言える佐藤浩市さん。
その息子さんが寛一郎さんなんです。そりゃかっこいいわけです!
寛一郎さんが俳優の道を選ばれたのは、やはりお父様である佐藤浩市さんの影響が強かったようです。
幼い頃から撮影所に連れて行ってもらっていた寛一郎さん。
役者という仕事がいちばん身近な職業だったのですね。
けれども小さい時から俳優を目指していたわけではなかったようです。
学生時代にいろいろな映画を見ているうちに、映画以外に興味をもてることがないということに気が付いた寛一郎さん。自分にとっては身近であった役者という職業に対する気持ちが徐々に強くなっていったそうです。
身近であればこそ、軽々しく俳優になる!とはすぐには思えなかったのかもしれませんね。
とはいえ、「役者になる」という決意を父に伝えたときの反応は、
「あぁ、そう」の一言でした。
さらに浩市さんは「あぁ、そう」のあとに「反対する理由はない。だが、食えなかったら食えないで、しょうがないと思え」といったのだそうです。
この一見そっけなく見える言葉にはやはり深い意味があります。
それは佐藤浩市さんのお父様、つまり寛一郎さんの祖父もやはり有名な俳優さんなのです。その名は三國連太郎さん。
日本映画の大作でいくつも主役をつとめられている名優でした。
寛一郎さんは祖父、父、と三大繋がる俳優の血筋なんです。
佐藤浩市さんがお父さんである三國連太郎さんに「俳優になる」ということを打ち明けたときに、全く同じ反応をされたんだそうです。
自分がやっている職業だけに、厳しさは十分にわかっています。
そして親と同じ職業に就くことは「親の七光り」といわれがちです。
俳優の世界ではそれは特に厳しい洗礼であることでしょう。
そんな佐藤浩市さんが歩んできた道を息子の寛一郎さんが選んだといった時、やはり三國連太郎さんが思った気持ちと同じことを思ったのでしょうね。
「あぁ、そう」の一言の中には様々な感情があり、最終的には自分自身の力でのし上がっていくしかないということを裏に含んだ愛情あふれる言葉に聞こえます。
そして俳優の道を選ぶことにした寛一郎さんですが、己の力で勝負する決意と、
父のイメージを遠ざけるために、芸名には「佐藤」を付けなかったそうです。
寛一郎、として経験を積んでいき最近は親子共演もされています。
「息子」という縛りが取れたのでしょうね。
初共演は映画『一度も撃ってません』(2020年)。
映画『せかいのおきく』(2023年)では、公開記念挨拶で親子二人が並んで立つことを恥ずかしながらも、息子を認めているような感じを醸し出すお父さんです。
寛一郎の祖父も俳優
先ほどお伝えした通り、寛一郎さんのおじいさんは三国廉太郎さんです。
まさに名優。様々な役を演じてこられましたが若いころのお写真は
本当に素敵です。
晩年の「釣りバカ日誌」のスーさんを思い浮かべる方も多いかもしれませんね。
祖父の三國連太郎さんが亡くなられたのは、寛一郎さんが高校生の時でした。
寛一郎さんは、俳優の道を志してから、改めておじいさんが出演した作品を見るようになったそうです。そしてその演技を「化け物」「超越した人」と俳優としての目線で見ながらも
「おじいちゃんと孫として、もうちょっと話したかった」と、孫としての素直な気持ちも語っています。
三國さんは孫である寛一郎さんを溺愛していたとか。ご自身の本名は佐藤政雄さんとおっしゃいますが、おじいちゃんではなく、ニックネームである「れんちゃん」と呼ばせていたんだそうです。なんとも微笑ましいエピソードも残っています。運動会や誕生日会には必ず参加されていたそうですよ。「れんちゃん」は芸名の連太郎から来ていたのでしょうが、寛一郎さんにとって、俳優・三國連太郎と、プライベートの祖父・佐藤政雄は違う人だったのでしょうね。
俳優の道を考え出していた寛一郎さんが実際にその道を進んでいくきっかけとなったのは、高校3年生の時、祖父・三國連太郎さんの葬儀の席で、映画関係者からスカウトされたことでした。おじいさんが導いてくれたようにも思える出来事です。
寛一郎のお母さんはどんな人?
寛一郎さんの母は元舞台女優だった広田亜矢子さんです。
佐藤浩市さんは再婚でした。お二人の結婚を機に引退されました。
このお二人のお子さんは寛一郎さんおひとりで、寛一郎さんは
一人っ子として育っています。
お母さんは、寛一郎さんの一番のファン!
寛一郎さんの出演作品は全部見て、LINEで感想を送ってらっしゃるんだとか。
お母さまも舞台で演技をされていた方ですから、その感想はうれしくもあり、
コワいものかもしれませんね。
このように息子の活躍を静かに見守り、深く愛情を注ぐ母です。
また、佐藤浩市さんと広田亜矢子さんご夫妻は、週末などに児童養護施設の子どもたちを家庭に迎え入れる里親活動にも熱心に取り組んでいらっしゃるのです。
「ごく普通の家庭の空気を感じてほしい」という、心優しい思いから始められた活動だそうです。
このような両親の愛情を受けて育った寛一郎さん。きっとその演技にある暖かさや誠実さは、こんな愛情に支えられているのでしょう。
寛一郎には兄弟はいるの?
先ほどお伝えしたように寛一郎さんは一人っ子として育ちました。
父である佐藤浩市さんは最初の結婚の時に息子さんをもうけているそうですが、現在、お兄さんにあたる方がどうしているか、寛一郎さんと交流があるのかは情報がありません。
一般の方として過ごされているようです。
まとめ
寛一郎さんは、父・佐藤浩市さん、祖父・三国廉太郎さんと3世俳優です。
お父さんとおじいさんから受け継いだお芝居への情熱や姿勢、プロとしての覚悟をもって
どんどん成長していかれています。
お母さまも元舞台女優と、まさに芸能界のサラブレッド。
高名な祖父と父を持つことできっとプレッシャーもあることでしょう。
寛一郎さんも「メリットとデメリットは半々」とおっしゃっているようです。
ですが、それをわかっていても俳優の道を選び、様々な作品で素晴らしい演技を
されています。
品格がある演技、安定感、かっこいい男前なたたずまいでこれからも
どんどん大きくなっていってくれることを見守り、応援していきましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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